親に「人に笑われるよ」とか「○○って思われるよ」とか言われて育ったせいか、
はたまたそれは私の自意識過剰だから親のせいにしてはいけないのかわからないけど、
大人になってから、人の目が気になりすぎて、お店で一人でご飯を食べることができなかった。
マクドナルドに入っても、少し離れたところにいるカップルが私のことを批判しているように感じる・・・

一人でご飯を食べることは、30歳前後のころは会社のランチでできるようになってきたけど、
周りの目を気にしてしまって何かと行動が制限されることは、ご飯を食べること以外ではあまり変わらなかった。

これは、周りに、自分のことを変とかかわってるとか注目されたくないというのと、
知っている誰かがどこかで私を見ていたら嫌だなとか
(そんな確率なかなかないのに)
知らない誰かなのに、私ってどう見えているのかなとか、そんな冷静に考えればどうだっていいことまで気を使い出して
その上で、その日接した知っている人も、私と会話を交わしたあとでどう思ったかとか考えだすとキリがないし、
実際に自分が疲れちゃってた。

自分以外の誰かにどう思われるか、それをコントロールすることなんてできないし、
それを意識してばかりだと、行動が制限されるし、したいことと「相手が自分をこう思ってもらうにはこういう感じ」と意識してやることが乖離しすぎてどうにもこうにも動けなくなってくるし、
そもそも「こういう感じ」が相手と違うかもしれないから、それ自体も意味がない。

頭の中でああだったら、こうだったらと妄想で演技したりシミュレーションしたり。
それで目の前のことに集中できず、考えまくって余計なことに時間がかかってしまう。

そんな自分のことが嫌だったりしたけど、今は、だいぶ直ってきたと思う。
これを軽減するために私がした方法は、3つ。

1つ目は、無理やりばっつり、「あ、また頭の中で一人で妄想してる」と自覚して、考えるのを切り替えること。
シュミレーションが無駄すぎるから。
いくら考えてもその通りにはならないし、シュミレーションと違う流れになった時に結局困る。
それに、思ったことをそのまま口に出しちゃっても意外と変じゃないし相手は気にしてないみたいだなと
40手前になって気づいた。

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2つ目は、人に好かれても、嫌われてもどっちでもいいやって思えるように心の特訓をすること。
自分の心が自由でいるためには、自分のペース、自分の考えを貫く必要がある。
その結果、例えばペースが違う人に嫌われても、それは自分のペースを保つためには仕方ないこと。
その人に合わせたところで苦しくなるだけだし、合わないひとがいるなら合う人もいる。
合う人に目を向ければ十分。
周りの目、人の目ということに置き換えると、
もしある人が自分を変だと思ったとしても、変と思わない人も絶対いるから考え方が合うか合わないかが違うだけ。
ただそれだけってこと。

3つ目は、大事なものや人ができたときに自然と覚悟ができる。
私の場合は、子供ができたら人の目を気にしないで行動することができた。
例えば、お医者さんに行って、思ったことが言えなかったり、よくわからないことが聞き返せなかったりしたけど、
子供のこととなると親である私しか聞けないし、聞いておかないと後悔する!と思うと質問もできる。
私が怒られても恥ずかしくても、行動しないと!と思えるようになったから。
世間の目を気にして、子供が騒いでたら叱るということもあるけど、
どう思われようが子供の危機を救うために(常識の範囲内で)なりふり構わず動けるようになってきました。

周りの目、人の目・・・と自分以外の誰かのことを気にしているような言葉だけど、
実際は自分のために気にしているんだって。
他人を気遣っているようで、自分がどう見られるか、自分が嫌われないか、自分が不利にならないかということを強く考えている証拠。
ほかの人の本当の気持ちに目を向けず、興味もないので、己の保身ばかり先に来ちゃうんだよね。

考えて考えて、結局は自分のことだけを自分で悩んでほかの人と接することができないなら、
もっとフラットに人と接したほうが労力を節約できるし、自分も楽になる。

意外と嫌われないものだから、大丈夫だよ。
シミュレーションや、会話したあとの反省はしすぎないようにしてね。

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